« 2007年9月 | トップページ | 2011年8月 »

違いを認め合う社会へ

金子みすゞの言葉を借りなくても、みんな違ってみんないいのが、
正常な社会なのだと思う。

それが、違いをなくそうとする際限ない営みを社会が担うようになってきて、
なんだかおかしいと思うのだ。

違いはもともとあるものだ。子ども時代にぼうっとしている子や、
いつも喧嘩で勝つ子どもがいていいのだ。

叩く親や先生、涙もろい大人たち、いろいろあっていいのだ。

違いを認め合えないときに、差別や偏見が生まれるのだと思う。

違いはあっていい。認め合って、時には喧嘩するのもいいだろう。

それでも人間は愚かだから、つい必要以上に戦ってしまう。
だから、武器は捨てよう。戦争は喧嘩じゃない。

Is normal what all are different, and is good all even if do not borrow the words of Misuzu Kaneko; think that social.

Society comes to take the working that does not have the end that is going to get rid of a difference, and it thinks that it is somewhat strange.

Originally there is the difference. There may be the child who is absentminded in the child times and a child to always beat by a quarrel.

I cut off a parent and a teacher, a maudlin adult to beat and may meet in various ways.

When I cannot recognize a difference, I think that discrimination and prejudice are born.

You may be different. I recognize it, and it will be good to sometimes quarrel.

I still fight just more than required because a human being is stupid.
Therefore I will throw away the weapon. War is not a quarrel.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

地酒のような音楽

現代では、音楽は「商品」のように消費され、流通される。
次々に「新製品」という新曲が生まれ、やがて流行とともに
消えてしまう。

音楽は、響き伝え合う「ことば」だと思う。
響き合うことに意味がある。

売ることにはあまり意味を感じない。
自然に売れるなら、それでいいと思う。

その地方でごく少数に消費されるワインのような
存在になりたいと思う。

ぼくが目指すのは、地酒のような音楽なのだと思うのだ。

By the present age, the music is used like an article, and it is circulated.
A new song called "the new product" is born in sequence and disappears with the fashion before long.

I think the music to be "an idiom" telling to sound.
There is a meaning in sounding.

I do not feel many meanings in being sold.
I think that thus I am good if popular naturally.

I want to become extremely person that it seems to be wine used to a few in the district.

I think that it is music such as the local brew that I aim.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

私たちが等しく同じ時代に生きているということ

今、生きている現代のすべての人は、同じ時代を共有している
という事実から逃れることができない。
年齢や、出自に何の意味があろうか。もちろん、どう生きているかは大いに意味がある。
それは、年齢や出自ではなく、一人ひとりに意味がある。

どんな社会で生きていようとも、人間は一人ひとりに意味がある。
一度、年齢や出自の「くくり」を捨てて、等しく同じ時代に生きている者として、
お互いに見つめ合ってはいかがだろうか。

今、起きているすべての出来事が一人ひとりの個人のことなのか、
何か別の要因から起きていることなのか。

社会を社会として、国家を国家として見つめ、個人を個人として
見つめたとき。何の隔たりもなく、一人ひとりを心から見つめることが
できるのだと思う。それは、生でも死でもない。

All living modern people cannot escape from a fact to share the same times now.
What meaning will there be in age and blood relationship? Of course there is a meaning very much how you live.
It has a meaning to each one not age and blood relationship.

The human being has a meaning to each one to live in any kind of society.
Of once, age and the blood relationship "bind" it, and throw it away, and how will about it を when stare as a person living in the same times each other equally?

Is it to be up from a factor according to something now whether all taking place events are each person's individuals?

When I stared at the nation nationally as society in society and stared at the individual as an individual. Without any difference, I think that I can stare at each one heartily. It is not death directly either.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

スパムが来て思い出す

ココログを開くのはずいぶん久しぶりだ。
パスワードを覚えていてよかった(*´v゚*)ゞ

スパムが届いて削除しなくちゃならなくなって、
開いたんだけど、「つぶやき」があったり、
似顔絵? アバターがあったり、前と少し違う。

アバターを作ってみたが、似ていない・・・。
パソコンはちょっと前のデスクトップで、
XPからWindows7にしてみたけど、
ディスプレイをワイドの23.5インチにしたら、
解像度が合わなくて横長になってしまった。
ubuntu 10.10 で今は快適に。
一応使うソフトがあるのでWindowsも
残してます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年9月 | トップページ | 2011年8月 »