調律を待つピアノ~施設の片隅で~

ピアノ 本番のステージでは、練習でも使いこんで、いつも自分の弾き慣れた楽器で演奏する。そんな当たり前のことが実は、なかなかできないのが、ピアノです。

「楽器の王様」と呼ばれたりするのに、現実は、そこに備え付けの楽器に頼らざるを得ない。しかも、ぶっつけ本番のこともあるし、リハーサルでやっと初対面だったりする。それでもそれが、コンサート・ホールやよくイベントで使われる会場にあるピアノなら、いいんだけど、老人ホームや公共の施設などのピアノの状態は、どうかというと、長い間調律もされず、手入れもされていないこともしばしば。

思うに、ふだん演奏、音楽活動に縁のない人にとって、「ピアノの調律」というのは、「未知のこと」なのかも知れない。それは、特別のプロのコンサートにだけ必要な、それも立派なコンサート・グランドピアノで・・・と。だから、ここにあるピアノには関係ない。予算もないからと。

でも実際には、ピアノにとって、当たり前のこと。最低限必要なこと。ギタリストが、演奏前にきゅるきゅる、ぼーんぼーんと弦の音を合わせている光景を見たことがあるだろう。それも、当り前の光景。オーケストラで、オーボエがAの音を鳴らし、コンサートマスターが音を鳴らす。それに従いオーケストラ全体がさまざまな音を奏でる。「音を合わせる」ということは、演奏前に当たり前に行われること、それが、ピアノでは「調律」になる。

ただ、もちろん、たった6本のギターでもしばし時間がかかること。鍵盤が88鍵あって、さらにひとつの鍵盤には、2~3本の弦が張ってある。ピアノの「調律」は、技術も必要だし、時間がかかること。

老人ホームや障害者施設などに行くと、篤志家から寄付されたピアノが置いてあったりする。真新しいものや、使いこなされた古いものなど。それがいつもたいてい、調律されていないことが多い。「使っていないんですか?」と聞くと、そうではないらしい。歌を歌ったり、ボランティアで演奏されたりする。

私たちが訪問演奏を企画する時、これまでは、仕方なく、電子ピアノを持ち込むことが多かった。なにしろこういう施設では、ほとんどギャラが出ない。持ち込むにしても、音響代も出ないのだから、(出していただくこともあります。感謝してます。)調律だけはしてもらえないだろうかと、まずはお願いする。その必要性があるんだと伝える。出来る限りの誠意をもって。そしてもちろん、調律していただけるケースもある。でも、なかなか。

これからは、そこにピアノがあるなら、最初から調律代の出費を覚悟して、できるだけ、生のピアノの音を聞いてもらおうと思っている。そのうえで、「こういうことをしています。ピアノの調律をやっています。」ということを一人ひとりに伝えていこうと思っている。ピアノにとって、最低限これが必要なことだということに、一人でも多くの人が気づくように。いや、もちろん、必要だと思っていても、費用がかかることだから、「予算が出ない」「上の人が認めてくれない」と、二の足を踏んでいたのが現実。それでも、そうじゃなく、調律してほしい。生かしてほしいと伝えたい。ピアノは調律を待っています。

そのための寄付、カンパを、代表をしている岩美オカリーナ・クラブで、募っています。

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違いを認め合う社会へ

金子みすゞの言葉を借りなくても、みんな違ってみんないいのが、
正常な社会なのだと思う。

それが、違いをなくそうとする際限ない営みを社会が担うようになってきて、
なんだかおかしいと思うのだ。

違いはもともとあるものだ。子ども時代にぼうっとしている子や、
いつも喧嘩で勝つ子どもがいていいのだ。

叩く親や先生、涙もろい大人たち、いろいろあっていいのだ。

違いを認め合えないときに、差別や偏見が生まれるのだと思う。

違いはあっていい。認め合って、時には喧嘩するのもいいだろう。

それでも人間は愚かだから、つい必要以上に戦ってしまう。
だから、武器は捨てよう。戦争は喧嘩じゃない。

Is normal what all are different, and is good all even if do not borrow the words of Misuzu Kaneko; think that social.

Society comes to take the working that does not have the end that is going to get rid of a difference, and it thinks that it is somewhat strange.

Originally there is the difference. There may be the child who is absentminded in the child times and a child to always beat by a quarrel.

I cut off a parent and a teacher, a maudlin adult to beat and may meet in various ways.

When I cannot recognize a difference, I think that discrimination and prejudice are born.

You may be different. I recognize it, and it will be good to sometimes quarrel.

I still fight just more than required because a human being is stupid.
Therefore I will throw away the weapon. War is not a quarrel.

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地酒のような音楽

現代では、音楽は「商品」のように消費され、流通される。
次々に「新製品」という新曲が生まれ、やがて流行とともに
消えてしまう。

音楽は、響き伝え合う「ことば」だと思う。
響き合うことに意味がある。

売ることにはあまり意味を感じない。
自然に売れるなら、それでいいと思う。

その地方でごく少数に消費されるワインのような
存在になりたいと思う。

ぼくが目指すのは、地酒のような音楽なのだと思うのだ。

By the present age, the music is used like an article, and it is circulated.
A new song called "the new product" is born in sequence and disappears with the fashion before long.

I think the music to be "an idiom" telling to sound.
There is a meaning in sounding.

I do not feel many meanings in being sold.
I think that thus I am good if popular naturally.

I want to become extremely person that it seems to be wine used to a few in the district.

I think that it is music such as the local brew that I aim.

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私たちが等しく同じ時代に生きているということ

今、生きている現代のすべての人は、同じ時代を共有している
という事実から逃れることができない。
年齢や、出自に何の意味があろうか。もちろん、どう生きているかは大いに意味がある。
それは、年齢や出自ではなく、一人ひとりに意味がある。

どんな社会で生きていようとも、人間は一人ひとりに意味がある。
一度、年齢や出自の「くくり」を捨てて、等しく同じ時代に生きている者として、
お互いに見つめ合ってはいかがだろうか。

今、起きているすべての出来事が一人ひとりの個人のことなのか、
何か別の要因から起きていることなのか。

社会を社会として、国家を国家として見つめ、個人を個人として
見つめたとき。何の隔たりもなく、一人ひとりを心から見つめることが
できるのだと思う。それは、生でも死でもない。

All living modern people cannot escape from a fact to share the same times now.
What meaning will there be in age and blood relationship? Of course there is a meaning very much how you live.
It has a meaning to each one not age and blood relationship.

The human being has a meaning to each one to live in any kind of society.
Of once, age and the blood relationship "bind" it, and throw it away, and how will about it を when stare as a person living in the same times each other equally?

Is it to be up from a factor according to something now whether all taking place events are each person's individuals?

When I stared at the nation nationally as society in society and stared at the individual as an individual. Without any difference, I think that I can stare at each one heartily. It is not death directly either.

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スパムが来て思い出す

ココログを開くのはずいぶん久しぶりだ。
パスワードを覚えていてよかった(*´v゚*)ゞ

スパムが届いて削除しなくちゃならなくなって、
開いたんだけど、「つぶやき」があったり、
似顔絵? アバターがあったり、前と少し違う。

アバターを作ってみたが、似ていない・・・。
パソコンはちょっと前のデスクトップで、
XPからWindows7にしてみたけど、
ディスプレイをワイドの23.5インチにしたら、
解像度が合わなくて横長になってしまった。
ubuntu 10.10 で今は快適に。
一応使うソフトがあるのでWindowsも
残してます。

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文章を書く練習をしようかな

これは、本当につぶやきなんだろう。
ちょっと、お腹すいたし。
人生に苦手が本当にたくさんある。
もともと「人前」が苦手な方だった。
そのくせ、寂しがり屋だし、一人はいやだった。

こういうわがままな人は案外多いんちゃうかな。

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同和教育

小学校の同和教育にPTAの会員の一人として関わるようになって、
3年目になる。いつも思うのは、学校でされている同和教育というのは、
画一的な結論が導かれるように出来ているということだ。

ぼくは立場とか違いではなく、好きになれる人に出会いたいし、
認め合いたいと思う。

差別や差別性をとことん追求し、限りなく排除しようと考えるのは、
タマネギの皮をむくようなものだ。あるいは「裸の王様」のようだ。

「平等」は「同じ」という意味ではない。人々には元々違いがある。
よく見れば見るほど、ますます一人一人が違うように見える。

それは、当たり前のことであって、違いを認め合い、ちゃんと区別
することができて、ようやく相手に向き合うことができる。

人は自分とは違う人と出会うたびに自分自身を見つめ直すのだと思う。
そのときにどう考えたらいいかということが大事なんだと思う。
そこにはさまざまな感情や感想が生まれていいのだと思う。
全部出し切って、整理していけばいい。

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ボランティアって何だ

仕事で、PTAで、社会参加でいろいろな活動に関わっていると、
「ボランティア」ということばが「無料奉仕」「してあげる」という
意味で使われている場面に出会うことがあって、気にかかることがある。

ボランティアということばは、あくまで人と人とがひとつの目的に
向かって手を結び合うときに必要になる精神をいうことばであって、
報酬があるなしに関わらず制度や立場の違いを超えて協力
することをいうのだと思う。

「シテアゲル」ナンテ

ヤダモン。

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おしりが痛い

Bluecar 連休である。おしりが痛い。
 かつてはバイクに一日中乗ってておしりが痛くなったりした。
 今日は、遊具のある公園で子どもたちと長いローラー滑り台で何度も何度もすべったのだ。

 写真のクルマは何日か前に鳥取市内で見かけた。古い外車のワゴン。青い色が気持ちよさそうだった。

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ロンリコ

「151」と題名を付けた自作の曲がある。
このタイトルだけで「ロンリコ」とわかる人がいるだろうか。

151プルーフ、単純に2で割れば日本で使われているお酒の
度数になる。75.5度、アルコール純度75.5%の強烈なお酒である。

よく売られているウイスキーがストレートでその半分くらい、
ビール5%くらいだから、その強烈さはハンパじゃない。
火を付ければ、青い炎をあげて燃えるし、そのまま飲んだら
胃が焼けるだろうなと思いながら、水やビールをはさみながら
(チェイサー)チーズをつまみながら飲むのが、ぼくは好きだ。

それでも油断すると急にカクンと膝が折れるくらいに酔うことがある。
脳は覚醒しているのに、体が言うことをきかない。そういう体験を
することがある。あ、と思ったときには酔いが回ってもうどうしようも
ない。脳が覚醒しているから、いろんなことを考える。あわてて、
ビールを注ぎ足して気持ちも酔うことにしたりして。

そんな体験をしながら20代のときにクラリネットを吹きながら作った
曲がこの「ロンリコ151」だった。六本木ピットインで初演のあと、
「あの『ロリコン』いいね」と何人もの人に言われて曲名を
単純に「151」だけにした。

生まれ故郷の鳥取・岩美に帰って、飲んでいる酒は地元の「瑞泉」だ。
さて、「ZUISEN」てな曲でも作ってみるかと思いつつも、毎夜毎夜
飲んではそのまま眠ってしまうのであった(^^;

もし僕らのことばがウィスキーであったなら もし僕らのことばがウィスキーであったなら

著者:村上 春樹
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